彫刻を見て重岡建治氏の作品を意識したのは、伊東に来てからである。
オレンジビーチを歩き、なぎさ公園のブロンズ像を楽しむ。
隣接する按針メモリアルパークのウィリアム・アダムス像を見て、オレの好み。
山路を歩き、海辺を散歩する時間を持つ。
伊東の街にはあちこち、重岡建治氏の作品が点在する。
立ち止まっては眺め、妙な浮浪者に見られるのだろう。
5月2日の日経文化欄もあり、彼が伊東を拠点に活動を続けていると知る。
大室山の麓にあるアトリエが開放されていると、あるいるさんも言い。
調べた挙句、よし、会いに行こう!

毎年5月開催の、伊豆高原五月祭。
それに合わせて、重岡建治氏のアトリエが開放されていると言う。
直接、作品に手を触れることも出来、木目を体感できるのだと言う。
五月祭の地図は全くのアバウトで、辿り着けない。
基本的に伊豆高原の別荘地を彷徨うのだから、細い道に困る。
瀟洒な別荘から出てきたマダム、BMWに乗り込むところを尋ね、そこですよ。

お孫さんでしょうか入り口に女性がおり、挨拶をして見学の許可を貰う。
写真も宜しく、触れても宜しいと、触り魔には随喜の涙。
2階建てのアトリエの、一部は吹き抜けになっており作業場だと理解する。

作品の細かい場所や、作りかけのものを覗き込んでいたら後ろから声がかかる。
重岡建治氏であるとすぐに分かり、挨拶をし、作品への自分の感想を述べる。
最初に好きになった作品のことを上手く説明出来た気がして、満足だった。

大阪から今回が3回目だと言うオジサンと共に質問をし説明を受ける。
これはクスノキで宇佐美の農道を作るとき抜かれ、乾燥に20年かかった。
家具には向かないし、本来は芯を抜くけどこれは抜かず、裏側に工夫を凝らした。
重いから家具には向かない。
家具なら手間がかかり値段が上がる
昔の旅館なら扱っただろう。

木の芽に沿って逆らわないで彫る。
木に対して従順に素直になって彫る。
粘土なら好きに出来るけれど、木に対しては素直に従うしかない。
イタリアの彫刻家は職人上がりなんだ。
ボクのモクチョウ(木彫)の先生も16からやってる。
職人の技術があってこそ出来ることですよ。

右目がほとんど見えなくなってね。
86歳の作家は、こともなげに言う。
後ろのはプラスチックの型なんだけど、見やすいように白に塗ってるんです。

30分ほど説明を受け質疑応答をこなしてもらった。
ちょうどフランスから訪ねた予約客と挨拶が始まったから2階を見せてもらった。
いわゆる過去の作品が眠っているのだけど、触り魔にも許可が。
水泳家族には北島康介が受け取ったトロフィーの原形、康介クン、不要なら頂戴。
不埒なことを考えながら、創作意欲が溢れる86歳に、多大なエネルギーを貰った。
先の大阪人、ちっちゃい先生が大きな作品を作りまんな、同感だが反応はせず。
雨の日、予想どおり来場者が少なく、自分には満点の時間だった。
帰り際の挨拶は、今夜はいい夢が見られます、と頭を下げる。
あのね、小岩の駅前にもボクの作品あるから見に行ってね、と言われた。
ファイト!
この記事へのコメント
あるいる
小岩駅前の作品はたしか手をつなぐ母親と子どもの像だったと記憶していますが、普通のブロンズ像やなぁと、あまり食指を動かされませんでした。
いつの頃からか、骨太で力感溢れる作品に変化して行ったように思えます。
僕の東京時代、悪友の一人の親が伊豆高原に別荘を持っていて、よく遊びに行っていたのですが、その頃に彼はまだアトリエを伊豆高原に構えていませんでした。
とても残念です。
机の上にも置ける小さなブロンズ像は、僕でも買えるくらいの価格ですが、彼の作品は机の上に置くのではなく、屋外に置いて広い青空を背景に見るのが一番すばらしく思えます。
三枚目の制作途中の写真の作品、このままでもええなぁと思えるほどに好きです。
木から生まれ始めた二人、いろいろな物語が想像できそうですよ。
それにしてもタフな86歳です。
ちょっとうらやましい、です。
HOTCOOL
向日葵
しかも作者さんと直にお話し出来るなんて!!
とても良い時間を過ごされましたね。
青山実花
確かに大きな作品ですね。
安普請なら、
床が抜けてしまいそうです^^;
Lonesome社っ長ょぉ〜
創作活動には並々ならぬ集中力が必要となれば、美味しい空気と気持ち悪い
程の静寂さがそれをパワーアップしてくれます。彫刻にはまったく造詣が
ない私ですが、リーグワン覇者へのトロフィーは重岡さんにお願いすべき
であったとすぐにわかりました。
雨の別荘地、濡れることすら忘れその異次元空間を楽しむことが出来ます。
これからの季節には特に雨との付き合い方が大切となります。そうそう、
クマ除け鈴の携帯は必須となってしまいましたが。
英ちゃん
作品を見ても作るのが大変だろうな?と思うだけです(;^ω^)
ナツパパ
一つのことに打ち込んで、そこまでの境地に達することが出来るんですね。