ささいなことを気にして意識してしまうのは何故か。
父は「13」という数字を嫌がって13日は外出しなかった。
そんな父が亡くなったのが(13年前の)1月13日という皮肉。
最近ふと気が付くと自分も13日を妙に気にし始めているのだ。
カレンダーを見ていて13日が日曜になっていて、気にした。
それでふと、今月はブログの更新を土曜にして、済ましている。
本当はそんなことに意味はないと分かっていての行動に、興味がある。
父の支配が呪縛と化して、今も息づくのか。
あるいは父が一人息子に取り憑いたのか、妙な習性に暫く付き合ってみる。

再び三たび断捨離を進めていて写真の処分に鋭意努力中。
時代は今や小型HDDが1TBという大容量。
しょうもない写真も、目つぶりブス写真も廃棄して。
いずれそのうちに娘にあげて好きにしろと。
目の痛む作業中だけど。
少し懐かしく、時代も掘り起こしたり。

1996年の些細な出来事
1996年8月3日、札幌から家族5人で夏休みの東京遠征。
乳母車を押してもらいながら、電車内で大きな顔をする三女。
親指が何よりも美味しい時期なのである。
街では華原朋美の歌う「I'm proud」が流れていた。
子どもを「世界」に進出させる道筋を模索していた。
夢いっぱい、夢にどっぷりつかる幸せを生きていた。
ネタニヤフはパレスチナ過激派のイスラエルに対する自爆攻撃が多発した1996年7月の総選挙で勝利し、首相に選出された。
その後、1999年の総選挙で労働党に敗北した後、ネタニヤフは汚職事件から身をかわすため、政治の世界から一時身を引き、議員の職も同時に辞していたが、2009年に政権に返り咲く。現在は第6次ネタニヤフ内閣で、15年連続。
ずーっと私は平和の中で生きていて、感謝。
28年の時間の中で益々おかしな「世界」になっている。
往生際の悪いネタニヤフのせいで、連日ほぼ、虐殺が続く。
アメリカ主導の世界に無理があるのだと思う。
かと言って中露の暗躍も困ったものだ。
あっちへ行ってくれと鎖国すると、自国主義になるのか。
私が過ごしている平和と、幸せな時間。
救いもなく今日を生きる人が世界にはいる。
心を寄せることしかできないが、微弱ながらも何らかの協力をする。
ファイト!
この記事へのコメント
shiho
やらないと!
HOTCOOL
昨日の日本被団協のノーベル平和賞受賞は嬉しかったです。この賞を日本が受けたという意味、意義を日本国は活かしていかなければなりませんね。
ゆうのすけ
私の明日更新の記事は ”14”がキーワードなんですよ。^^;
青山実花
可愛いですね^^
子ども大好きなので、
もし電車で遭遇したら、
向かいの席に座っちゃうかも^^
そして、親御さんに見つからないように、
一番小さい子に向けて、
変顔とかしちゃうかも^^
まいく
電車で乗り合わすとその日1日は幸せの記憶で満たされますね。
Inatimy
あとは気になるものはデジカメで撮って画像で残して、
その他は全部処分しました・・・。
ものすごく若い父と写ってるのは大事に撮ってあります^^。
JUNKO
八犬伝
昨年、移住する際に思いっきり捨ててきました。