人口が多かった時代を振り返ると、よく結婚をした時代だった。
選択肢の乏しい、貧しい時代だった。
親や学校が、あるいは地域が、人の役割りを決め、型に嵌めていた。
おせっかいな人が結婚を押し付けるという時代があった。
結婚を強制する同調圧力があって、「行かず後家」などと差別語もあった。
女は子どもを生んでこそ幸せになる、(今では)はぁ~っ?? となる。
学校にさえ行ってればそれで良い時代なんて、既に終わっている。
教育の無償化など私学への優遇措置でしかないのに、バカだな。
頭の中は古い時代が支配して、目の前だけを見て、明日を見ていない。
私の中学時代は45人学級で、学年に16クラスあった。
教育など行き届くわけがなく、多くが放置されたままだった。
言われた通りにしていれば良く、個性など磨いては、あってはならぬ。
既にそんな時代ではないのだけど、この国の制度は多様化に対応していない。
幸せは自分でなるものだし、それは自分で選んで責任を取ること。
人生の目的は結婚でも出産でもなく、自己責任で生ききることにある。

拙宅には美人三姉妹がいて、楽しい思い出をくれた。
娘が結婚をしても、あるいは独身を貫いても、自己責任で好きにしろ。
どんな方法でも真っ当に生ききるなら、父は嬉しく思う。
そんなことを思う、昔の写真、60年近く前の住吉神社。
女のくせに、男のくせに、それが口癖の家長がいた。
金も幸せも教育も、親に与えられるものだったが、現代では通用しない。
祖母も見合い、母も見合い、言われた通りに嫁ぎ、夫を立て忍従の日々。
自分らしく生きるのは、秘かにやっていたのだろうか。
「一人口では食えないけれど、二人口なら食える」
基本的にそういう発想があった。
(会話で使えることわざ辞典)
ひとりぐちは くえぬが ふたりぐちはくえる
生活費は夫婦で暮らすほうが、独身でいるときよりも余裕ができることにたとえる。独り身のときは無駄な金などを使って不経済になることが多いが、夫婦で暮らすようになると、家計を引き締めて切り盛りするから、むしろ生活が楽になるのであろう。
使用例を見ると古典の世界であって、現代の発想ではない。
「出典:落語・たらちめ(1894)〈四代目橘家円喬〉」とか
「出典:森鷗外・雁|1911~13」
妻が私の相手をしてくれるのも、時々、別居の時間があるからだろうか。
ずっと一緒に居るより、個別の家とか部屋とか、やることもはかどる。
ホームレスも、独り暮らしも、自分サイズに合っていて辞められない人もいる。
ファイト!
この記事へのコメント
とし@黒猫
32歳といえば、たいていは、主任などの肩書がついており、それで独身なのは、人事部が許さん! といった方針のようでした。
公私混同もはなはだしい時代でした。
HOTCOOL
ハマコウ